プロジェクトでカイゼン [Project de Kaizen] 第66回 番外編

「全員交代」 人心を刷新するマネジメント(その1)
~「坂の上の雲」に学ぶ トップが引責辞任するとき

今回は番外編です。歴史小説「坂の上の雲」(司馬遼太郎)には時代を超えたビジネスの原理原則や的確なマネジメント事例の宝庫です。この著作に基づき筆者は2010年と2011年に二つの著書を出版し、小説中のエピソードから現代のマネジメントに役立つポイントを解説しました。
おりしも企業の不祥事のため、わが国の代表的な製造業である三菱電機の社長が7月2日引責辞任を発表されました。企業トップが引責辞任するとき、どのようなかたちで次の世代にバトンをつなぐのか、番外編として二回にわたり述べることにします。

【1】なぜ戦争を話題にするのか
そもそも戦争とは大小のプロジェクト活動の集合体という側面があります。そして、プロジェクトはギリギリの資源(ヒト、モノ、カネ)で進めることが多いのです。それゆえ、小さな作業レベルでのミスがプロジェクト全体に致命的な影響を及ぼすことが起ります。戦争は極限の状況をつねに想定する必要がありますから、プロジェクトマネジメントのような発想が欠かせません。
従って、プロジェクトマネジメントの大会では軍人の方々も多数参加されます。米国はもちろんのこと、わが国の大会でも自衛隊の将官だった方の講演を聞いたことがあります。定例のミーティングに自衛隊の方々がつねに出席される団体もあります。
大事なことは、わが国が体験した戦争には良いことも悪いこともそれなりのわが国らしさがあることです。良いこととはおみこし経営における多様性です。良い意見は誰が発案者であれ、すかさず採用する長所があちこちにあります。
こういったことをすべて含めて、現在のわが国の問題解決に役立つと考え戦争に関する話題を取り上げることにしました。

【2】全員交代の背景~黄海海戦の失敗
20世紀初頭、世界は帝国主義の時代でした。この小説は日清戦争(1894~95年)と日露戦争(1904~05年)を経て、列強諸国の仲間入りを果たそうとした明治の日本の姿が描かれています。今回は、日露戦争における黄海海戦での手痛い作戦失敗について、人心を刷新する信賞必罰のマネジメントを紹介します。

今回とり上げる黄海海戦(1904年8月)の翌年に、すべての海戦に終止符をうった対馬沖における日本海海戦(1905年5月)がありました。これはバルト海から遠征してきたロシアの主力艦隊(バルチック艦隊)と日本艦隊との歴史に残る海戦でした。ロシア主力艦隊と日本艦隊との陣容はほぼ互角でしたが、航海33,000kmを経た不慣れな海域での戦いはかなり歩が悪いことは明らかです。そこでロシアは次のように考えました。旅順港にあったロシアの極東艦隊は、宣戦布告後ずっと日本艦隊との決戦を避け、旅順港に退避を続けます。欧州から遠征してくる主力艦隊の到着を待ち、二つの艦隊が合流して圧倒的に優位な戦力になってから決戦するという戦略です。勝てる準備ができてからでなければ戦わない。さすがですね、二つの艦隊の合流が実現すれば日本艦隊の勝ち目は無い。
そこで日本艦隊としてはロシアの極東艦隊が主力艦隊と合流しないうちに撃破する必要がありました。そのための海戦が黄海海戦でした。結果として日本艦隊はロシア極東艦隊の退避を続けさせずに海戦に持ち込むことはできたものの、撃破という作戦目的を満足することができず、この海戦は大失敗でした。

【3】撃破作戦失敗の原因は
ロシア極東艦隊が、こちらの望むとおりの行動をしたにも関わらず撃破作戦は失敗しました。
作戦失敗の原因としては、勝機はあったのに活かせなかった現場の緩みだったそうです。広い海域での敵艦隊発見はこの時代ではきわめて困難なことでした。しかし、薄暮のときに一度と早暁に一度、合計二回も敵を発見しているのに好機を活かせなかった。このままではロシア主力艦隊との決戦での勝利はとてもおぼつかない、これが参謀秋山真之の認識でした。

ここで当時の海軍の役職を現在の企業組織で相当するものを説明しておきます。

参謀:企画室スタッフ(課長)
参謀長:企画室室長(取締役部長)
艦長 :関連部の部長
司令長官:社長


【4】全員交代の処罰案
「全員交代」は罰を与える意味での降格を含む人事異動のことです。
そこで参謀秋山は、上司である参謀長島村速雄に「全員を交代させる」処罰案を提案しました。対象は、駆逐隊などすべての艦艇の艦長でした。参謀長は同意し、司令長官東郷平八郎に提言します。
司令長官は「戦いの最中に顔ぶれを変えてしまうというのはどうだろう」と難色を示します。司令長官の最大の仕事は人心の統御ですから、彼としてはこの際、乱暴な人事をしたくなかったのです。参謀長は「信賞必罰ということです。人心の刷新にもなります」と駆逐隊艦長の一斉交代にこだわります。これは司令長官の本意ではありませんでしたが、賛成して実行することになります。
続けて、参謀長島村は「人心刷新ということで、私も替えていただきます。これは絶対に必要なことです」と言い出します。司令長官東郷は驚きますが、参謀長島村は譲りません。彼にすれば部下に懲罰人事を断行した以上、参謀長たる自分だけがそのまま残っているわけにはいかない。「自分も退けば司令部の責任問題もおのずと明快になります」と主張します。結局、この通りになりました。島村は参謀長の立場で自分にも厳しくすることが「艦隊の気分を暗くせずにすみます」と付け加えています。彼は降格し、その後はある艦艇の艦長を務めることになりました。

参謀長は艦隊のトップではありませんが、作戦失敗の責任をとって全員交代の懲罰的人事異動を断行します。同時に、自身にも降格人事を適用しました。これにより、人心を刷新することに成功しました。参謀長ひとりだけが引責辞任するのではなく、組織の活性化をはかるための「全員交代」の意図が組織トップである司令長官にもよく通じていたことがわかります。