プロジェクトでカイゼン [Project de Kaizen] 第60回

おみこし経営での参謀の役割

前回は、社会の大変動があるときに欠かせないリーダーの全体観について述べました。自動車業界では、EV化という世界の潮流が動き出しています。地理的にどこにいるにせよ少しだけでもその気になれば潮流を感じることができて、全体観につながることを述べました。今回は、おみこし経営が基本となるわが国でリーダーを補佐する参謀の役割について述べることにします。

企業組織のトップを補佐する参謀と似たような役割をもつのが行政庁の諮問機関です。行政庁の依頼に応じて学識経験者などが審議・調査を行い、意見を答申する役割をもちます。感染症対策分科会も諮問機関のひとつですが、ここの尾身茂会長(以下、会長)のコメントが話題になっています。おみこし経営は、ボート経営とは異なり組織内の多様な意見やアイディアを取り入れる点に優れた特長があります。とはいえ、組織の参謀のような役割には相応の規律が求められます。会長の役割は企業組織のトップを補佐する参謀と同じであるという前提で参謀の役割について述べることにします。

【1】率直な発言はマスコミで大きく取り上げられたが
発言は東京オリンピック・パラリンピック大会(以下、大会)の開催について否定的ですが、自らの所信を臆せず発信されているようです。その姿勢には専門家としての信念を感じます。
しかし、この状況においてこのような行動(発言)は筆者が考える経営トップ(リーダー)を支える参謀の役割とはかなり違ったものです。
まず、役割を果たすうえでの最も大きなことは大会の開催は規定の絶対的な前提であることです。その前提を覆すような行動には大きな違和感があります。但し、どのようなイベントにも不測の事態はつきものですから、この大会を中止することも可能性として(シナリオとして)考慮しておくことは欠かせません。これはリスク対応ということになりますが、開催を目前にしていきなりこれを持ち出すことはやってはならないことです。開催への備えと中止のシナリオ、この二つについて参謀の役割を述べることにします。

【2】この1年間でやるべきことはあったはず
開催まで2か月となった時点で、参謀の立場として「中止」する方向のコメントはありえません。これが許されるのは、事前に開催中止に至るシナリオが承認されていることが欠かせません。このシナリオは必ずしもオープンにされないこともありますが、少なくともトップが納得・承知していることが必須となります。つまり、中止に至るシナリオが共有されていないにもかかわらずこのような発言は不意打ちに等しいことになります。「聞いてないよ~」ということです。
そのうえ、今回の会長の発信はタイミングとして遅すぎました。1年前に大会向けのみならず、重点都市を中心に医療資源の再編成と集中策を発信提言されるべきでした。大会向けに医療資源が必要なことはもともとわかり切ったことでしたし、そもそもコロナ向けに全国的な医療資源の再編成と集中策を提案すべきだったと考えます。
これは、本来は厚労省の役割でしょう。しかし、わが国は民間の医療機関が多いので強制的な命令はできないという言い訳がつきまとう。しかし、利害関係で動けない既存の組織を突破する提言こそがまさに部外者としての参謀の役割であるはずです。昨年以来、医療資源の再編成と集中策は手つかずのままのように見えます。自治体で個別の取り組みはあるようですが、戦力の逐次投入で医療現場の疲弊を招いていないのかと心配です。
提言すべき重要項目はあったのになされなかった、筆者の率直な感想です。

【3】リスクを真正面から討議できないわが国
プロジェクトなど何かの計画で「こういうリスクがあります」と発言するとまともに取り上げられることは無く「何を言うか」と叱責されることさえあります。
JOC理事の山口香氏の次のような述懐がありました。委員会でのことです。・・一年前、ヨーロッパで感染が広がり、私は「延期」を口にしたら「(皆が)一丸となってやっている時に・・」とお叱りを受けました(東京五輪、国民は望むのか 文藝春秋2021年4月号)。「空気感は大本営発表と同じ」このような見出しがついていました。
これは日本の組織ではよくある傾向です。あってほしくない事態については口にしたくない。討議するなど論外である。しかし、相手がウイルスでしかも進化・変異しています。何があるか誰もわからない。「こういう条件になったら中止する」あるいは「中止を検討する」などは組織のリスク計画として立案しておくことが必要です。これは事前に決めておかないと、いざそのときになっては誰も決めることができません。
次に、筆者が日産勤務時代に聞いたエピソードを紹介します。このような事前のリスク対応を示唆する部門長のコメントです。

【4】このプロジェクトに逆櫓(さかろ)はあるか
新エンジン開発プロジェクトの進ちょく会議で、報告が一段落して部門長からのコメントは「君たち、このプロジェクトに逆櫓(さかろ)はあるか?」でした。

ここで櫓(ろ)とは、やや聞きなれない言葉かもしれません。小さな和船の船尾についている推進用の道具です。ボートなどのオール(櫂)は2本でこぎますが、櫓は1本でこぎ前進や旋回ができます。ただ、後進は難しくこの場合は逆櫓と言われるそうです。童謡の「船頭さん」の歌詞にも出てきますね「・・歳はとってもお舟をこぐときは元気いっぱい櫓がしなる・・」。この童謡は知っていても、逆櫓まで知っている人はその場にはいなかったそうです。

部門長の言いたかったことは、新エンジン開発が行き詰って車両開発の日程にうまくつながらない事態(リスク)も想定しておくべき。その場合は、従来エンジンに切り替える必要がある。切り替えるためにはそれなりの期間と工数が必要になる。新エンジン開発を「前進」と例えると、従来エンジンへの切り替えは後進になるので「逆櫓」という表現になったのだそうです。
部門トップが「そういう事態はありえる、そのときは迷わず後進を選ぶべき」と明確にしたわけです。「皆が一丸となってやっているとき」であってもリスク対応は明確にしておく。筆者はこのエピソードから、ものづくり現場を預かるトップリーダーの合理性につくづく感銘を受けました。わが国にありがちなまずい傾向、あってほしくない事態については討議したくない。これを軽々とクリアしているリーダーがいたことに安堵すると同時に誇りに思います。

【5】日本の参謀は非常時対応を
昨年2月のダイヤモンドプリンセス号の対応では、自衛隊の生物兵器対応チームが出動したにも関わらず、ここに任せることをせず死者13名という惨事を起してしまいました。このときの直接の責任は厚労省にあります。非常時対応のプロ集団になぜ任せなかったのか、筆者は当時の厚労大臣の判断を全く理解できません。しかし、厚労省に限らず我われ日本人は非常時の対応が苦手なことをよく自覚する必要があります。悪い方向への想像力が足りないのではなく、まるで無いと言ってよいレベルです。逆に考えると、日本の組織の参謀としてはここを主要な任務とすればよいのではと考えます。

大会の開催について、この時期になっての中止は参謀が口にすることではありません。これまで述べたように、そのためのシナリオが合意されていないからです。首相は「国民の安全と安心」が口ぐせになっています。国民の「安心」は難しくても「安全」については実現可能な方策はこの土壇場でもいくつか考えられるでしょう。
安心を得るためには信頼が必要ですが、残された時間で信頼を回復することは難しい。しかし、安全は理詰めで考えたものを実行すればよいので残された時間で実現することはできると考えています。