プロジェクトでカイゼン [Project de Kaizen] 第47回

プロトコルから見た企業文化

前回は、経営のプロトコルの実践としてISOと改善活動の5Sを比べて本質的な差異を説明しました。5Sは行動、目標そしてガバナンスが無理なく自然に一体化されています。それに対してISOは契約社会の産物として契約のみが唯一の拠りどころであるという特徴があります。場合によっては、組織のプロトコルが他社との契約に反する行動をとらせる結果になることも紹介しました。
今回は、意識か無意識かに関わらず組織の行動や考え方を左右するものとして企業の文化をとり上げます。企業文化はプロトコルとは別ものですが、無意識に機能する傾向に共通点があります。両者の共通点を把握することは、変化の時代にうまく適応することに役立ちます。

【1】よそがやっているならウチは止めろ
ホンダの独自性・先進性を語るものとして、創業者である本田宗一郎のさまざまな逸話が残されています。彼が工場内をぶらぶら歩いているとき、熱心に工具を使って部品を作っている作業者を見かけて声をかけます。聞くと「この部品を使う試作品はトヨタや日産もやっている。遅れをとらないように急いでやっている」とのこと。トヨタや日産もやっていると聞いた彼のひと言「それならウチは止めておけ」だったそうです。他がやらないものをやる。筆者が日産に勤務していたとき、最もびっくりしたのは(筆者だけではなく世界が驚いたのですが)、最も厳しい米国排ガス規制を独自のCVCCエンジンで世界の自動車メーカーに先駆けてクリアしたことでした。よそがやるならウチはやらない、世の中に無い独自のことをやる。ホンダとソニーは戦後日本が世界に誇る業績と評価を残しています。このような企業文化が米国の起業家たちでもお手本になっていることはよく知られています。

他がやらない独自のビジネスを追求することは、やはり独自の企業文化と言えます。文化と言うよりも経営のプロトコルと言えるものを筆者の日産勤務時代の体験から述べることにします。このような行動が約束事や決め事として、組織に定着するのは好ましいことであり、ひとつの企業文化と言ってもよい。筆者はそのように考えます。もちろん、商品特性、企業形態や経営者などとの相性などによって取捨選択が必要なことは言うまでもありません。

【2】経営のプロトコル 経営者レベル
競合商品のひとつを企画・開発・設計から生産までのプロセスを一本化する(一社に任せる)構想がありました。OEM(相手先ブランドでの生産)の発展形です。市場の競合で際立った差異はもう無いと割り切ったうえでの二社のトップ同士の協議から生まれた構想でした。品質管理の集まりで二人の企業トップが知り合って、ここまでの関係ができたのだそうです。うまくいくと、北米市場で両社のシェアがアップし投資効率が倍増する見込みでした。残念ながらこの構想は実現しませんでしたが、経営者主導による企業間連携の一例です。

【3】経営のプロトコル 企業レベル
OEMビジネス 部品ビジネス
日産では、OEM(相手先ブランドでの生産)をさかんにやっていました。販売量の少ない商品は他社商品を少しのお化粧直しで自社販売網に供給する、これが常識でした。ゴーン改革以前の日産では、商品系列がほぼフルラインでそろっていました。OEMは相手先企業だけでなく日産のニーズにも合っていました。エンジンなどの販売や購入などの部品ビジネスも担当部署を決めてやっていました。トヨタからエンジンを購入する案件がありました。先方としてはエンジン単体の販売は何の問題も無かったのですが、搭載車両変更に伴う排ガス対応の設計工数が割けないとのことで成立しませんでした。

専門学会を通しての技術交流
筆者が工場勤務時代、担当する技術者はすべてA工学会の会員として参加していました。上司の部長は学会の理事を務めていました。学会のイベントでさかんに技術交流がありましたが、部長の交流の深さに驚いたことがありました。
同僚がなかなか終息しない不具合をかかえて部長に説明していました。事情を聞いた部長は、やおら電話をかけ相手に不具合状況を説明していました。「前にあなたのところでは、こうやって不具合を解決したと聞いた」「うちの工場でも同じような不具合で困っている」「解決の手順を教えてほしい」 相手は同業B社の方のようでした。よほどの親密な関係なのかなと思いました。その後、FAX数十枚が届きました(当時は電子メールなどはありません)。
部長「まず、これでやってみよう」。もちろん、give & take の関係だったのでしょう。販売市場では競合していても、内部ではこういう良好な関係がありました。お互い、技術的に切磋琢磨していたからこそこのような関係が成立したのでしょう。

業界トップ企業との関係
同業の各社とは個別におつき合いがありました。とくにトヨタと日産では開発部門の関係が印象に残っています。日産は欧州に開発センターを立ち上げました。英国への工場展開もそうでしたが、日本の自動車業界としてはいずれも初めてのことでした。その後、トヨタから欧州に開発センターを立ち上げたいので、ということで情報提供の依頼がありました。日産の担当部署が計画から現状まで率直に説明したと聞きました。これもgive & take の関係でした。日産も聞きたいことがあればお願いしました。同業者においての競争と協調、これがうまくいっていたと思います。

【4】経営のプロトコル 担当業務レベル
労働災害情報の活用
工場の所在地が横浜市でした。横浜市のどこかの企業で重大災害が発生すると、時間をおかずに工場の担当部署に地域の監督部署からFAX情報が届きました。それがすべての生産技術担当者に告知されます。すると、その重大災害と同種の作業または同種の設備を扱っている担当者は当日中に点検と報告が義務になっていました。つまり、他社で発生した重大災害についてこちらでも発生する要因の有無をチェックするわけです。点検とチェックは、管理職も同行していました。工場は昼夜の二交代勤務でしたから、昼のシフト終了後に一斉に点検を行っていました。安全に関しては最優先でしたから、筆者の所属していた部署では担当者以外も手伝っていました。安全が最優先ということは誰にでも常識となっていました。それでも、担当する工場で重大災害が発生したことがありました。事前に災害の要因に対処することの難しさを知ることになりました。

企業の文化は経営のプロトコルとは別ものですが、どちらも似たような働きがあります。今回説明したことのすべてがどの企業にもあてはまるとは思いませんが、一例として紹介しました。次回はこのような経営のプロトコルを活かすために、どうやったらそういう雰囲気にもっていけるかを述べることにします。